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今の自分は本当に"幸せ"を知っているか

ノートに書かれた「幸せ」

2016年頃の自分のノートには
「多分大丈夫だけど、だめだったらだめで仕方がない、だって十分に幸せなのだから」
という記述がある。

これは人生初めての簡易人間ドックを受けて、再検査判定が出てから、内視鏡検査を受けるまでの間に自分が書いたものだ。
内視鏡による再検査が必要というのは、ごくごくわずかではあるが、ガンの可能性があるということだ(と少なくとも自分は解釈していた)

この時のことはよく覚えている。
散歩をしていて、洗足池の近くのドトールにいて、カントの「永遠平和のために」を読んでいた。
カントはいかにも啓蒙思想家という体で、世の中は確実に前進していくものと考えていた。
その笑えるほどの楽観主義が、小さい子供がいる中で健康に不安を抱える自分にはなんだか心地よかった。

結果的にはただの心配しすぎで、何の問題もなく、ただの勘違いで、おセンチで感傷的なOver30の男に過ぎなかったわけだけど、もしかしたら意外と早く死ぬかもしれない(し、それは今でも正しいかもしれない)という感覚をリアルに感じたことはその後の人生に少なからずプラスになっていると思う。

ただ、今回の本題はそこではない、問題は
だって十分に幸せなのだから
ここだ。

幸せ度合いは向上する、今は当時よりも幸せである

自分の人生において自慢できることを上げるとすれば
「毎年幸せ度合いが向上しているという感覚を持っている」という点はかなり有力なものだと思う。

毎年、毎年、今の自分は一番幸せだ、と感じている。
自分の記憶力がちょっとよくなくて、過去のことを忘れているせいもあるかもしれないけど、それを割り引いても、多分これはその通りだろうと思う。

意識しだしたのは社会人2年目の2009年頃からだけど、多分その前からそうなんじゃないだろうか。
仮に2009年の前の2008年からだとしても10年以上記録を更新している。これは結構すごいことだと思う。
そして、多分元号が令和になってからも記録は更新できると思う。

幸せは極めて主観的なことで、そこまで広く語られるものではないから、他の人のことはわからないが、10年以上幸せの実感値を更新できている人はどれだけいるかわからないし、そもそも人と競う必要もない事柄で、これは純粋に幸せなことである。

「幸せである」ことを人生において極めて大事だと感じる自分にはこれは本当に有難いことだ。

「幸せだ」と感じる度合いは毎年更新されていく、ということは過去の自分よりも今の自分の方が「幸せだ」ということだ。
「今が一番幸せだな」「こんな幸せがあるんだな」と毎年思うということは、裏を返せば前年にはその「幸せ」を知らなかった、ということのはず。

だから、もしあの時に死んでしまっていたら(ガンでもそんなに急には死なないだろうけど)今の幸せは感覚として捉えようがなかったのだと思う。
少なくとも今知っている「幸せ」の感覚は持てなかった。

幸せは結構追求できるのかもしれない

というわけで、死んでも仕方がないと思っていた2016年当時は、少なくとも今知っている「幸せ」の度合いすら知らなかった、ということだ。

これでは本当の幸せを知っていた、とは言えないと思う。

「幸せとは何か?」正解がある問いとも思えないが少なくとも当時の自分よりも今の自分の方が良い答えを返せると思う。
当時は幸せへの習熟度合いについて、今よりもずっと未熟だった。

一方で「十分に幸せなのだから」に嘘があったかというと、そんなことは全然ないと思う。
当時は本心でそう思っていたし、今あの時の心持ちになってもやっぱり幸せだろうとは思う。

それこそとても幸せなことに、自分の人生は既に十分に幸せな度合いに達した人生なのだ。(今後それが下がらないとも限らないが)

でも少なくともそこには2016年までに到達していたとして、その後も記録は更新し続けている。

多分「十分に幸せ」の先には、結構広い「すごく幸せ」の未開拓の地が広がっているのだと思う。
何となく来年はもっと幸せなのかな、と思うし、そうであったら素敵だなと思う。

そして、こう思えること自体が今の幸せでもある。

もっと広い幸せを目指して

でも最近思う。自分が幸せならそれでいいのだろうかと。

既に「十分に幸せ」な上で、個人の幸せだけを追求していく人生にはそんなに広がりがないような気もする。

それに、今の幸せは自分だけで手に入れたものではない。それどころか、むしろ自分以外の、周囲の色々な人のお蔭によるものがほとんどだ。

既に幸せな自覚があるなら、もっと広い範囲の幸せに目を向けるべきだと思う。

敬愛するdkatsuraは自分から見るとMr.ノブレス・オブリージュみたいな存在だけど、こと幸せという分野においては、自分もそうなるべきなのではないか、という気もしてきているのがここしばらくだ。

周囲に感謝することは多い、昔と違って、いかに環境や周囲の状況が現状に影響を与えるか、自分がいかに恵まれているのかもわかってきた。(過去の自分は浅薄でこじれた自己責任論者だった)

これからは、自分以外の人の幸せにも、もっと目を向けていこうと改めて思う。

これを書いていて、自分自身の幸せについては、僕はカントも笑ってしまうほどの楽観主義者であることに気づいた。多分これから先はもっと幸せだ、それを全く疑っていない。

でも、それだけではだめだと思う。
折角だから、もっと広い範囲の幸せを追求したい。
もしかしたら、別にそれを目的にするわけでもないけど、それは今の自分にはわからないような、さらに大きな幸せにつながっているのかもしれないな、とも思う。

前に進もう。


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HirotaRo

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